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光福寺について
光福寺について
寛永7年(1630年)源祐上人を中興とします。
正式な開山(お寺の始まり)ははっきりしないものの、遅くとも、江戸時代前期にはこの地にありました。
人々が江戸に向かう際、光福寺のある桜井の地にある宿に泊まって、翌朝、舟に乗り込んだと伝わります。
江戸との交流
そんな交通の要衝ゆえ、江戸との交流の跡を、今も見ることができます。
参道入口に建つ石塔をご覧ください。江戸の商人が光福寺の本尊さまを信奉し、寄進されたものだと分かります。
御本尊
光福寺のご本尊さまは、お不動さまの愛称で親しまれる不動明王です。
立像も多く知られますが、当山のご本尊さまは、座像(座っているお姿)です。
お不動さまは、最上の仏さまである大日如来の、救いの部分を示すお姿です。
背中の炎で煩悩や障害を焼き尽くし、
右の手に持つ剣で迷いを断ち切り、
左の手に持つ縄(羂索)で、強引に括り引っ張ってでも、良い方に導いてくださいます。
「どうか、私を、家族を、ご先祖さまを、良い方にお導きください。」と手をお合わせください。
光福寺について
8月16日にお施餓鬼を行います。
お盆に行う、亡き方々を供養する用事です。
光福寺の周辺では、お塔婆をお建てになりお墓参りをなさる慣例が受け継がれます。
その他にも、小さな規模ながら音楽の会や、近隣の方にご講演いただくなど、これまで不定期に行事を開催します。
木更津亭柳勢
木更津といえば、”やっさいもっさい”であり、”木更津甚句”です。
江戸時代の噺家、木更津亭柳勢さんが作ったことで知られます。
♪ハァー 木更津照るとも
東京は曇れ* かわい男が
ヤッサイモッサイ
コリャドッコッコイ
コリャコーリャ
日に焼ける
*江戸時代は「お江戸は曇る」
光福寺の過去帳には、木更津亭柳勢の名があり、
境内墓地に眠ることが分かります。
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